社会に広がる「迷惑視」意識2017年2月25日(朝刊)

大谷いづみ 立命館大学教授(生命倫理学)

 相模原障害者殺傷事件の容疑者が殺人罪で起訴された。今後は、裁判での責任能力の有無と動機の解明が重要な争点の一つになるだろう。被告が今も障害者への差別発言を繰り返しているとの報道を見る限り、事件はむしろ確信に基づいた「思想」であった可能性が高い。

 事件の報道が少なくなった昨年11月、「文藝春秋」12月号に掲載された脚本家橋田壽賀子氏の「安楽死」法制化の提言が耳目を集め、同誌3月号は著名人60人の安楽死・尊厳死の賛否を特集した。うち33人が「安楽死」に賛成、20人が「尊厳死」に限り賛成、いずれにも反対は4人のみである。回答に散見された「自分らしく、人間らしく、尊厳をもって死にたい」というフレーズは事件の前から既に、社会に広く共有されている。

 賛成する人々の「家族や社会に迷惑をかけたくない」という理由は、植松聖被告が語ったと報じられる「家族や社会の幸福のため」との犯行動機の「思想」と、表裏一体をなしている。

 ネットでは若者を中心に、被告の言葉に少なからぬ共感が寄せられた。へイト(憎悪)や差別感情によるものもあったが、ブラックバイトや非正規雇用にあえぎ未来に展望を持てない絶望を、若者貧困世代が植松被告の軌跡と孤立に重ねた面も否定できない。

 「尊厳死」に賛成する高齢の文化人・知識人や経済界の重鎮と、若者貧困世代とは対極に位置しながら、いずれも植松被告と同根のものを抱えている。それは「役に立たない迷惑な存在」とみなし、忌避し恐れている。迷惑を掛けることも、掛けられることも望まない人たち。ゆえに、それを途方もなく凄惨(せいさん)な方法で実行し、「迷惑な存在」となった植松被告を医療の領域や「社会を破壊する怪物」として自らと切り離し、排除しようとするさまざまな現象が直ちに働いたのだ。

 だからこそ、「役に立つ」とはどういうことか、人が物理的にも精神的にも、孤立せず・孤立させずに支えあう社会や制度はどうあるべきかを具体的に考えていくことが求められる。

 この事件を取り巻く複雑で困難な問題を踏まえても、植松被告の行為は裁かれねばならないし、責任能力の有無のみに焦点化されるべきではない。それは、罪と罰、罪と償いとは同か―という善悪を巡るさらに深い問いを私たちに投げかける。医療観察法や触法障害者、措置入院後の監視強化といった安直な社会防衛論にくみすることなく、私たちは問うていくべきである。


 検証 相模原殺傷事件 識者に聞く (上)

 東大准教授 熊谷晋一郎さん 

 排除の論理にあらがう

 相模原の事件の後、車いすで移動しながら、道行く人にひるむ感覚があった。数日たって「襲われるのではないか」と感じている自分に気付いた。生活基盤が脅かされているように思えた。幼少時の脳性まひのりハビリの記憶のふたが開いた。

 馬乗りになった大人との間に感じた圧倒的な力の差。うまくいかないと相手の指先からいら立ちが伝わる。ねじ伏せられる感覚。悪意あるセラピストが友人を踏みつけているのに何もできない。怒りや恐怖…。それ以上に無力感があった。

 事件の後、内臓が下に落ちていくような体の感覚もあったが、それは幼少時のりハビリ空間に近づいているのだと思った。事件で被害に遭った方々に自分を重ねていた。

 一方、その後の社会の動きにも怖さがある。行政は、本人ではなく家族や施設関係者への聞き取りを根拠に、事件現場と同じ場所に施設を再建する方針を固めた。この発想は容疑者が抱いたとされる「かわいそうなので殺してあげる」という論理と似てしまっている。障害者の立場を勝手に代弁しているのだ。

 かわいそうかどうかを含め、自分のことは自分で決める。家族にも社会にも代弁されたくない。1970年代以降の障害者運動はその思いを大切に進んできたのに、事件によって時間を巻き戻されたように感じる。

 すべてを容疑者のせいにして、事件が解決した風を装ってはならない。動機とされる「障害者を排除する」という優生思想は、有用性を基準とする能力主義と分かち難く結び付いている。

 現代社会において能力主義と無縁の人はいないし、中間層の大多数は「用無しになる不安」を感じているのではないか。「あいつは使えない」という言葉がよく口にされ、明日には仕事や居場所を失うかもしれない。そうした不安や恐れは、弱い立場の人を排除して強くなった気になる論理にもつなかりやすい。

 役に立たなければ生きていてはいけないのか―。この問題は、障害者と中間層に実は共適している。「排除の論理」にあらがわなくてはならない。不安を共有し、社会の仕組みを一緒に考えることにつなげたい。能力主義はなくならないが、同時に、能力に関係なく誰もが生きられる分配の仕組みが必要不可欠だ。

 事件の10日後、容疑者に重ねられがちな精神障害や薬物依存症の人も含め、立場を超えた追悼集会を開いた。否定も意見集約もせず、一人一人の思いを並べ、静かに分かち合う場―。毎年続けられたら、と考えている。

 ◇

 相模原の障害者施設殺傷事件は26日で発生から半年となった。障害者を標的にした凶行が、「共生」を掲げる社会に与えた衝撃が大きい。事件は私たちに何を問い掛けるのか。私たちは事件から何を学ぶべきなのか。有識者にさまざまな観点から聞いた。(1月26日)

【メモ】2017年3月18日(土)11:OO〜16:30

 検証 相模原殺傷事件 識者に聞く (中)

 介助コーディネーター 渡邉 琢さん 

 障害者が身近な社会に

 「障害者はいなくなればいい」という考えから自分は無縁であるとどれほどの人が言い切れるだろうか。そう思う人 がいるから、地域社会から離れたところに「入所施設」なるものができるのでないだろうか。障害者とともにありたいと多くの人が願うなら、障害者は地域で暮らし続けるだろう、あなたの身近には常に障害者がいるだろう。

 容疑者は元施設職員だつた。人の配置や依存先が少なく他者の目が入っていない場だと、ケアする側の暴力が起きやすい。福祉職による虐待対象の8割は、知的障害のある人たちとの データもある。声を上げにくく抵抗できない人たちが、構造的に弱い場に置かれている。

 容疑者を免責するつもりはないが、社会の責任を別に考える必要がある。自戒を込めて、今まで見捨ててきたことを問い返したい。

 京都の町で暮らす障害者の介助に関わり、地域で1人で暮らすのは難しいだろうと思われている筋萎縮性側索硬化症(ALS)の人や重度障害者が、京都で1人暮らしをヘルパーらとと もに実現している姿に出会ってきた。当事者らと行政に交渉し、24時間の介護保障の輪が少しずつ、広がってきた。

 一方で知的障害者が地域で1人暮らしするのは難しいと考えられてきた。けれども、長年支援に関わり続ける中で、重度の知的障害や重複障害があっても、施設でなく地域で1人暮ら しをする仲間が増えてきた。

 事件後、相模原事件の現場を訪れ、元職員や入所者の家族から話を聞いた。「意思疎通ができない、施設でしか生きられない人たち」という刷り込みが社会 にあるが間違いだと感じる。本当に施設しか行き場がない人たちなのだろうか。制度面や人の関わり方を丁寧に考え直し一仕方のなさ」を解きほぐしたい。

 重度の重複障害と言われながら1年半ほど前から1人暮らしを始めた青年がいる。「施設に入ると言葉を失う」と両親は言っていた。

 夜、彼と一緒に近所のなじみのスーパーにいき、晩ご飯の内容を一緒に考える。時には、レストランでちょっとぜいたくもする。地域の人たちも、最初は 少し驚いていた様子だったが、最近は普通に声をかけてくれるようになった。あたり前の生活だけれども、施設ではこうした日常の社会経験が奪われる。

 「重度障害者」とひとくくりにしたくない。24時間の介護保障がまだ実現していない自治体も多い。名前や存在を社会から消し去るのではなく、一人一人 の生きざまを支えたい。(聞き手・岡本晃明)

 検証 相模原殺傷事件 識者に聞く (下)

 精神科医 高木俊介さん 

 「監視」やめ信頼構築を

 まず、「障害者はいなくなればいい」と訴えて19人もの命を奪った容疑者の行動は、精神障害が本当に原因だったのだろうか。その点が証明されていない段階にもかかわらず、今回の事件が精神科医療における問題として扱われ、厚生労働省が音頭を取る形で再発防止策の議論が進められていることに違和感がある。

 精神障害者の犯罪行為は必ずしも障害が原因となっている訳ではない。また残念なことだが、容疑者の主張に賛同する人間は少なくなく、さらにナチスの虐殺事例などを見れは、同様の思想は精神疾患とは関係なく存在している。

 容疑者は事件前、障害者施設の襲撃を予告していたとされる。威力業務妨害や脅迫の容疑に当たると考えられ、警察は通常の司法手続きで対応すべきだったのに、強制力を伴う「措置入院」という医療に拙速に委ねられてしまった。

 彼にとっては、軽蔑してきた障害者と自分が同様にみなされるという屈辱を感じ、元々持っていたへイト思想をさらに強めるきっかけになった可能性もあるのではないか。こうした考察を十分に踏まえ、安易に糟神科医療に委ねるのではなく、司法と医療がいかに連携していくかという観点での検討を進めるべきだ。

 一方、厚労省のこれまでの議論は、措置入院の解除の判断や退院後のフォローといった「出口」の問題が中心になっており、本来は最も慎重であるべき「入り口」を問題視する視点はほとんどなかったようだ。社会全体に「精神障害者だからおかしなことを考える」といった無知と偏見は根強く存在し、「社会の治安維持のため」として措置入院が保安処分の代わりに利用されているのが現実。人身の拘禁を伴う対応であり入り口は狭く設定すべきなのに、その状態を放置したまま出口面のみでの再発防止策を講ずれば、結局は患者の監視強化を招くことになる。

 私は「安易な入院治療は患者から人間のプライドや知恵、生活を奪うことにしかならない」と考え、京都市で精神障害者の在宅ケアを続けてきた。本人の自宅に往診し、悩みを聞いて生活の障害となつていることを取り除く。就労支援に家族との話し合い、買い物から庭の草むしりまですることもある。入院中にはほとんど感情を表にしなかった人が、生き生きと自立して本来の生活を取り戻す様子を目の当たりにしてきた。支援や治療には信頼関係が欠かせないと実感している。監視の目的が透ける「支援」では信頼は得られない。

 相模原事件を問う @

 田村和宏さん 立命館大准教授(元びわこ学園障害者支援センター所長)

 重い障害がある人こそ「光」

 「障害者はこの世からいなくなれ」とか「安楽死させた方がいい」という容疑者の考え方が広まらないかすごく危機感がある。重い障害があつても決してかわいそうな存在ではない。障害者の権利条約ができ、虐待防止法や差別解消法など法的整備がなされる中で、人権を保障する機運が後戻りしないよう社会全体で確かめ合ってほしい。

 事件の背景には容疑者の特性だけでなく、障害者施設の過酷な労働環境があるのではないか。着替えや食事の介助も分刻みで数をこなさないと一日が終わらなかったりする。障害のある人に寄り添おうとの思いはあってもかなわない面があるのかもしれない。

 以前に比べ事務仕事の量も増えている。障害者自立支援法ができ個別支援計画を立案したり、まとめたりする業務が細かくなった。容疑者のような極端な考え方を抱かないよう若い職員への教育や、障害のある人と関わる中で発達保障についての考え方を実感する体験が大切だが、人材育成に十分に力を注げなくなっている。

 人員配置には国の基準があるが、私が2年前まで勤務したびわこ学園(野洲市)のような重症心身障害者施設は1人につき職員1人という基準が20〜30年ぐらい変わっていないはずだ。人工呼吸器や経管栄養の人が随分増え、ケアの濃度や密度は高まっているが、態勢は厳しいままと言える。

 障害の重い人は言葉を待たないことが多い。初代の園長から独り善がりで物事を進めていないか、とよく問われた。障害の重い子どもと関われは関わるほど自分だけがこの世の中に生きているわけでなく、周りの人と生きていると気づかされる。ひいては意見を出し合って地域や集団をつくる機会が減った今の社会を再生する力を得られる。

 戦後間もない時期から近江学園やびわこ学園を創設して「障害者福祉の父」と呼ばれた故糸賀一雄先生は「この子らを世の光に」という言葉を残した。重い障害があっても目の前にいる人は同じ1人の人間であり、発達は遅くともゆっくりと積み上げていく彼らの歩みを保障することが、世の中全体の弱い人たちの幸せを保障することにつながる。重い障害がある人たちこそ世の中の光として、社会の真ん中に置く必要がある。 (聞き手・国貞仁志)

 ◇

 「重度障害者は生きていてもしょうがないから安楽死させた方かいい」と発言していた元施設職員が、相模原市で障害者19人を殺害する事件が起きた。事件をどうとらえたか。社会の底流に、こうした優生思想を生む要因はないのか。京滋から問う。

 相模原事件を問う A

 池田浩士さん 京都大学名誉教授

 人の価値分け ナチスに酷似

 容疑者の青年はナチス・ドイツへの共感を口にしていたという。ナチスは障害者を「生きる価値のない存在」と呼び、抹殺を図った。青年が書いたことや行動は、ナチス・ドイツの政策と正確に重なる。今回の事件は個人の犯行とはいえ、日本の今の状況を考えるうえで、重要な意味を持っていると思う。

 ナチス・ドイツで注目すべきは、戦争に向けた独裁体制構築と障害者の抹殺が同時進行だったことだ。1933年1月に政権を握ったナチスは、3月に全権委任法を強行可決し国会の承認なしに法律を作れるようにした。7月14日には二つの重要な法律を作った。一つは政党禁止法で、ナチ党以外は全て禁止された。

 もう一つが「遺伝性疾患のある子孫を予防するための法律」。いわゆる「断種法」だ。政府の基準で「遺伝性」とされた疾患のある人に対し不妊手術を事実上強制できる法律で、立法趣旨には「本人が不幸」「家族が不幸」「その人たちのために巨額の税金が使われる」とある。相模原の青年が衆議院議長宛ての手紙に書いたことそのものだ。

 ヒトラーは39年10月、「T4行動」という命令書に署名した。いわば「障害者安楽死計画で、ナチの下部組織を使って社会の隅々から「生きる価値のない存在」を発見し、全国6カ所の収容施設でガスなどを使い「安楽死」させた。犠牲者は20万人以上という。さらに強制収容所で「生きる価値のない存在」を選別し、さまざまな人体実験に使い「安楽死」させた。

 「T4行動」の日付は、日をさかのぼり9月1日付になっている。政党禁止法と断種法を、人権の原点であるフランス革命記念日に作り、障害者抹殺の命令書の日付をドイツがポーランドに侵攻し第2次世界大戦が始まった日にした。ヒトラーは極めて意図的だった。明らかなのは、戦争をする国にとって障害者排除は欠かせない政策だった、ということだ。

 ナチスは「生きる価値のない存在」の対象をユダヤ人、口マ、同性愛者、労働忌避者、共産主義者などへ広げた。戦時体制維持には、人間を生きる価値のある存在と、そうでない存在に分けることが不可欠だった。今回の事件を起こした若者がナチスに共鳴していたとすれば、きわめて象徴的で見過ごしてはならない。(聞き手・日比野敏陽)

 相模原事件を問う B

 福井 生さん 止揚学園園長

 心の言葉に共鳴する社会を

 容疑者が「重度障害者は生きていても仕方ない」と述べたというが、そんな考え方がまだ残っているのかとショックを受けた。人の命に無関心になること、命そのものを否定することは本当の差別だ。障害者総合支援法や障害者差別解消法ができるなど、障害のある人を取り巻く状況は表面的には良くなったようだが、大切なものに向き合ってこず、何かを忘れてきたためにこんな事件を生んだのではないか。

 新たな法律の制定によって、障害のある人の中でも選別が起きている。障害が軽い人の就職などが進む一方で、重度の人たちは法律が求めるような結果に行き着けない。そういう状況の中で、「重度障害者は役に立たない」「いない方が国のため」という考え方が生まれている気がする。

 今の社会はすぐ結果を求めようとする。食事や入浴に介護が必要で、一人で生きていけない人たちに結果を求めるのは難しいが、彼らが生きていける社会こそ、私たちが目指すべき社会だ。

 私は創設者の子どもとして生まれ障害のある人たちに囲まれ育った。みんなが小学生のころ、毎朝学校まで競争した。「絶対走らない」とルールを決めたが、私はみんなが見えなくなったとたん一目散に走つた。「るーちやん速いな」と褒めてくれるのがうれしくて。でも、みんなにとっては競争じゃなくて、私のうれしそうな顔を見るのが楽しみだつたんだと思う。

 今も止揚学園の運動会でマラソンをするが、最後の人も手を振ってゴールする。1位を争うことよりも、100人と一緒に走ったことが彼らの喜びや誇りになる。そういう私たちが忘れている大切なことを、彼らは言葉を話せなくても笑顔で教えてくれる。

 園には毎年、東京の小学生が交流に来る。初めは園の人たちの手を握るのも怖がるが、3泊4日を一緒に過ごす中で、この人たちも同じ命を与えられているんだと気付き、帰るときにはみんな手をつなげるようになっている。肌で感じることで、みんなが助け合って生きていくんだという思いが大人になっても残り、私たちが求める社会を築いてくれるのではないか。

 私たちの心の中からこういう考えがなくなれば、社会は恐ろしい禾来を迎えるだろう。一人一人の心の中に、障害者の心の言葉に共鳴するような優しさがあつてほしいと願っている。(聞き手・芝田佳浩)

 相模原事件を問う C

 久保 厚子さん 全国手をつなく育成会連合会会長

 共生について考える契機に

 事件を聞いたとき、重度の知的障害の長男(41)を持つ母親として「なぜ障害者がこんな目に遭わないといけないのか」と、社会に理解されず抹殺の対象となったことに、悲しみと怒りがこみ上がった。

 連合会で事件翌日、不安に思う障害者や家族に向けたメッセージを発表すると、数百件に及ぶメールや電話が寄せられた。「自分も狙われるのか」「施設の職員を信じていいのか」といった声が多い。犯行動機だけでなく、大きな報道で世間が障害者を拒否しているように感じ、みんなショックを受けてる。

 容疑者は「障害者は価値がない」と言うが、そんなことはない。発達の過程は誰もが同じで、障害者は足踏みをしているだけ。施設職員や支援者は発達の手助けを試行錆誤して、新しい支援の方法をつくり、次につなげている。

 障害者は身をもって私たちを教育してくれる存在であり、社会での役割もしっかりある。容疑者は障害者の家族が疲れ切っていると言うが、みんなわが子がいることで幸せを感じる経験をしてきた。家族は、障害のある子がいない方がいいとは、決して思っていない。

 容疑者に賛同するようなメールも送られている。だが勝ち組の強者も、いずれけがや認知症で誰かの支援を受ける。生産性で人の優劣をつける社会だと、いざという時に自分が困るだけだ。共生について国民全体で考える契機にしたい。

 障害者施設のセキュリティーを強化する動きがあるが、今回のように確信を持って襲われれば防ぎようはない。壁を高くして障害者を見えない存在にするよりも、地域の人の目も借りて、安全を確保する方がいい。バランスは難しいが、今まで通り開かれた施設の形を重視してほしいと思う。

 多くの犠牲者が出たからこそ、障害にかかわらず共生できる社会を目指さないといけない。政府も1億総活躍をうたうなら、障害者も活躍できる共生社会をつくるという、強いメッセージを出してほしい。

 事件後、連合会には障害者に無関心だった人や海外からも励ましのメールも多く届いている。会としても「みんな大切な存在」ということを広く伝えられるよう、活動を見直していきたい。(聞き手・久保田昌洋)

 相模原事件を問う D

 安田 誠人さん 大谷大教授

 試験優先、人権意識育たず

 容疑者は障害のある人が不幸という考えを強く持っていたようだ。今回の事件を通して最も感じるのは人権への意識が損なわれているのでは、という点だ。

 私は東近江市の障害者施設が集まる勉強会に10年ぐらい参加しているが、最近、施設のトップの人たちから「若い職員の人権感覚がすどく鈍っている」と聞く。利用者と意思疎通をうまく取りながらケアをしている職員が人権や権利を守る話になると乗ってこない。「障害者福祉の父」と言われた故糸賀一雄先生のお膝元であり、利用者や子どもたちのためにという思想が根付く滋賀でさえ、そういう状況になっている。

 自戒を込めて言えば、原因の一つに、大学教育で人権について話さなくなったことが挙げられる。私が学生の頃は「福祉とは何か」といつた原論を学ぶ授業があった。今は社会福祉士の国家試験で人権に関する問題がほとんど出ず、大学からも試験に役立つ授業をしてほしいという注文がある。人権意識が育っていないところを見ると、私たち教育の側が国家試験にとらわれ過ぎている。

 福祉がサービス業になった。職員がボランティアでなくプロという意識を持つことは大事だと思う半面、頼まれたことや支援計画書に書かれていることだけをやればいい、という風潮が強くなっていないか。障害者の自立支援は本来なら職員が様子を見たり、声かけをしたりして時間を掛けて寄り添うものだが、正しい手順を踏むと「早くやるように」と言われてしまう。

 私の長男は重度の知的障害がある。被害者の実名を警察が公表しなかったことについて差別という指摘があるが、名前が出ることにリスクを感じている家族がいるのは確かだ。ただ世の中の空気も以前と変わり、障害があるからといって恥じることはないという考えの家族も増えており、個人的には健常者と同じようにしてもらう方が自然だと感じる。個別に家族に意向を聞いたり、施設が一括して確認したりす るといった配慮も一つの方法ではないか。(聞き手・国貞仁志)

 相模原事件を問う E

 常石 勝義さん 障害者馬術選手

 障害者 周りの人も理解を

 ニュースに、なぜこの人はこんなことをしてしまったのだろう、と思った。「障害者は死んだ方がいい」と言っていると聞いた。それは違う。障害者になりたくてなった人はいない。命の大切さを知つてほしい。

 落馬で頭を打って、高次脳機能障害がある。記憶力や注意力が不自由になった。左半身の感覚がまひして、左の視野も狭くなっている。僕は自分で落馬したが、施設の人の多くは、生まれつき、または幼い頃の病気のせいで障害がある。本人に何の責任もない。

 でも、世の中で体が丸ごと健康な人はあまりいないだろう。丈夫に見えても、心が病んでいたりする人もいる。そう考えると、障害者も健常者も、みんな変わらないんじゃないか。

 守山市の作業所に通っている。あの事件が起きて、やっぱり作業所の中にも怖がる人がいる。職員さんが「あんなことは、ここでは絶対にないから安心して。僕たちが守るから」と言ってくれた。そんな職員さんもいる。

 障害のために失敗することもある。歩いている時、誰かにぶつかってしまう。忘れ物をしてしまう。嫌なことも言われる。健常者こ迷懸をかけているかもしれない。今の自分を受け入れるしかないと思っている。だから、周りの人にも理解してほしい。

 落馬してから1カ月間、意識不明だった。また馬に乗りたくてリハビリした。回復できたのは馬のおかげ。スポーツとしての馬の魅方を伝えたくて、障害者馬術競技を始めた。競技の経路を毎日紙に書いて覚えている。全国大会で優勝することができた。今は東京パラリンピック出場を目指している。

 学校や自治会で、講演活動もしている。これまでの体験や、障害のことを正直に話している。当事者だから分かること、僕だから言えることがあると思っている。

 障害者をばかにしないでください。一生懸命に生きているのだから。みんなと一緒の人間だから。生きる権利を大事にしてほしい。(聞き手・山下悟)

 土曜評論 (8月6日)

 宮崎 学さん 作家

 不寛容な社会影響か

 ずいぶん嫌な事件が起きた。どのような差別であれ、それはよくないと「表向き」浸透すれはするほど「表向き」に入れない人たちはより差別するようになる。自分たちが「表向き」に入れない恨みがあるからだ。

 ただ、それで19人殺害までいくかといえは、謎が多すぎる。現場や明らかになっている事柄から具体的に考えていく。

 まず現場の津久井やまゆり園や植松聖容疑者の自宅がある一帯は、高度成長時代に開発された地域のように、どこか人工的な空間であり、東京の下町のような猥雑(わいさつ)な空間ではない。無機質な感じがすごくした。

 園の施設は完成当時、よく考えられた建物だったのだろうが、長い年月が経過し、収容所のような寂しさがただよう。

 植松容疑者が衆院議長に宛てて書いた手紙では「保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳」と記している。障害者の介助に取り組んでみたものの、自分には無理と挫折したのではないか。

 彼は26歳。この年代は大学を出て一生懸命働いてみたが、待遇もよくならす、エアポケットに入ったように不安定な状態となる人がいる。

 一方、例えばヤクザの場合、抗争下で2人を殺し、長期服役しても組織の幹部になれるなどの望みがある。一時的であれ何らかの利益がないと、罪は犯さない。死刑の可能性が大きいので、3人以上は殺さない。何の利益もないのに、大勢を殺傷する気が知れない。

 また人を刺せは、血が噴き出し、凶器には血のりがべったり付き、血のにおいがあたりを覆う。

 植松容疑者は約40〜50分の間に45人もの人に襲い掛かり、頸動脈(けいどうみやく)などを正確に刺して19人を殺害した。流血や血のり、血のにおいはすさまじかつたに違いない。相手が無抵抗だと分かっていたとはいえ、できることではない。

 このような圧倒される犯行に対し「障害者なんていなくなってしまえ」という動機は乖離(かいり)している。秋葉原の通り魔事件や大阪の池田小事件などとはこの犯行と動機が懸け離れている点が大きく異なっている。しかも、衆院議長への手紙によれば、障害者を殺害する理由は「世界経済の活性化」と「第3次世界大戦を未然に防ぐこと」だという。

 ここからは、活性化している経済から取り残されたいら立ちがうかがえた。同時に障害者と世界大戦と結びつけるのは、ナチス・ドイツによる障害者の虐殺を知り、妄想を膨らませた可能性が大きい。

 彼は戦争オタクだったのかもしれない。手紙には「作戦」という言葉もある。犯罪を企てている者は人に計画を言わないし、ましてや手紙は書かない。犯罪者としての常識がないとしか言いようがない。

 障害者を殺害するのは国のためとして、国に新しい名前や5億円を要求していることから考えると「英雄」妄想にとりつかれていたのだろう。

 大麻使用が報道されているが、大麻は陽気になるので、殺人につながるとは思えない。大麻から薬物の世界に入り、.覚醒剤や危険ドラッグを使用していた疑いは残る。

 彼はフェイスブックやツイッターをやっていたので、ネットの影響も受けたのではないか。

 ネットがないころ「殺す」という言葉は自分の部屋でこつそりノートに書いたり、ぶつぶつ独り言をつぶやいたりするだけだった。しかし、ネット時代となり、特定の人物を嫌悪し、民族を差別して「殺す」と平気で書き込むやからがいる。彼らは 物事を自分に都合のいいように解釈する。ひきょう者の言説であり、その不寛容さこそが植松容疑者の犯罪を解く健かもしれないし、今回の事件は社会が狂い始めたことを示唆しているのかもしれない。

 なぜ被害を防げなかったかが問われているが、社会が狂い始めたとすれば、従来の対応では防げない、まさに想定外の事件だったのだろう。

 相模原事件を問う F

 野崎 泰伸さん 立命関大非常勤講師

 優生思想 人ごとではない

 現実によく聞く考えたな。

 障害者の命を軽んじる容疑者の思想に接してまず思った。私自身、脳性まひのため、身体障害者手帳1級を持っている。マンションのエレベーターでは、一緒に乗ることを避ける健常者もいる。容疑者ほど明確でなくても、意思疎通のできない障害者に対し、「生きていても意味がない」と感じた経験のある人は少なくないのではないか。

 今回のような大量殺人にまで至った事件は他にない。しかし容疑者の思想を、「訳の分からない考え」として人ごとと捉えることには違和感がある。優生思想を批判する報道が多いのは望ましいが、いつからこんなに障害者に優しくなったのかという思いも湧く。障害のある胎児の中絶など、優生思想と通底する行為は社会のあちこちで見受けられるからだ。

 容疑者の心に障害者を抹殺する計画が生まれたきっかけは何か。事件のあった相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」では夜間、利用者20人あたり職員1人だったと聞く。容疑者には、職員が十分にケアできず、障害者がみすぼらしく見えて、哀れに思えた時が多かつたのかも知れない。

 だが容疑者の行動の背景に、精神疾患を想定するのは慎重でありたい。現状では分からないことが多い。確かに彼の行動は異常だが、異常さをすぐ精神疾患と結びつけ、措置入院の強化につなげることは新たな差別となりかねない。

 こうした事件を繰り返さないために何ができるか。地域で普通に障害者が暮らせる社会を地道に作っていくしかないと思う。パラリンピックで活躍する人だけでなく、淡々と生活する障害者の存在もよく知ってほしい。命の尊さは能力とは関係がない。

 社会で暮らす一人の障害者として、事件を契機に健常者に保護されるような立場へ追いやられるのは嫌だ。防犯を理由に障害者を目の届く範囲で保護したり、施設の警備を強化したりすれば、結果的に障害者から健常者を遠ざけ差別の温床となつてしまう。まさに容疑者の思うつぼだ。(聞き手・広瀬一隆))

 暖流 (8月8日)

 尾藤 廣喜さん 弁護士

 「相模原事件」が示すもの

 7月26日未明、神奈川県相模原市の知的障害者施設で入所者19人が刃物で刺殺され、26人が重軽傷を負った事件は、まさに衝撃的な事件だった。容疑者は「障がい者なんていなくなればいいと思った」と供述しているといわれ、また、措置入院中に「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」とも言っているそうで、「優生思想」が事件の大きな背景であったと推測される。

 しかし、「個人の尊重をうたった憲法13条の定めを待つまでもなく、障がいのある人は役に立たないとの理由で大量虐殺をしたナチスドイツの「優産思想」の誤りはあまりにも明らかだ。どんなに重い障がいのある人でも、教育や労働の中で変化し、発達する限りない可能性を持っている。それどころか、水俣病、薬害スモン、薬害ヤコブなどの重い障がいを持つ被害者が、自分の障がいを世の中に示し、訴えることで、社会を大きく変革してきた歴史がある。私たちは、障がいを持つ仲間たちから、多くの大切なことを教えてもらっているのだ。

 しかし、今回の容疑者は、このような事実を、学校教育の中でも、施設の職員として働く中でも、教わり、体感することもなかったようだ。

 翻ってみれば、容疑者が持つこの歪(ゆが)んだ考えは、今私たちの社会にさまざまな形で存在する「差別の思想」が反映したものと言える。今、ネット上での弱者への憎悪表現、在日外国人へのへイトスピーチ、野宿者襲撃事件など、ひたすら「弱 者」や「マイノリティー(少数者)」を貶(おとし)め、攻撃する行為が横行している。また、公が、財政対策のため、福祉、医療そして介護の場で、率先して「いのちの切り捨て」すら行っている。

 政府は、今回の事件を受けて、措置入院制度の見直しを指示しているが、この事件の原因を精神科の医療システムにのみにあるとす ることは、小手先の誤った対策そのものだ。教育や労働の場、さらに社会全体での「弱者排除の論理」への根本対策こそが必要である。

 寄稿 (8月13日)

 森 達也さん 映画監督

 容疑者を怪物にしない

 事件翌日の民放テレビのワイドショーで、衆院議長に宛てた容疑者の手紙に「私はUFOを2回見たことがあります。未来人なのかも」とあることを指摘して、「意味不明のことを書いて相手をどう喝しようとする攻撃的な性格が表れている」と断定した識者がいた。あぜんとした。正常な精神状態ではないと判断すべきなのに、「わかりやすい悪」に強引にはめ込もうとしている。この延長線上に、ヘイトや差別感情などの語彙(ごい)がある。

 どんな事件にも異常性と普遍性がある。ところが事件が注目されればされるほどメディア(社会)は異常性ばかりに注目し、その帰結として犯人は理解不能な怪物になってしまう。そうなれほ教訓や再発防止策を講じたりすることなど不可能だ。

 正常な精神状態ではない。それは認めるべきだ。ただし、精神障害者は危険であるとの認識に短絡すべきではない。ほとんどの精神障害者は穏やかだ。犯罪率は健常者よりも低いとの統計もある。

 今回は事件自体も異例だが、報道も異例ずくめだった。容疑者は2月に措置入院させられている。この事実が明らかになった段階で通常なら、容疑者の名前や顔写真などは伏せられる。責任能力を問えない恐れがあるからだ。でも今回はまったくそんな気配はない。

 名前や顔写真を出すべきではないと主張するつもりはない。これほどに社会に衝撃を与えた事件なのだ。いつもとは違う力学が働くことは当たり前だ。ただし、警察が被害者の名前を公表しないことも含めて、異例な展開だとの意識は必要だ。その意識がなければ前例になってしまう。システムやルールが自覚なきままに変わることになる。

 自民党の山東昭子参院議員が犯罪予告者らに衛星利用側位システム(GPS)を携帯させる立法に言及したのはその典型だ。犯罪予告には刑法の威力業務妨害罪などがある。憲法のプライバシー権にも抵触する。でも賛同の声は多かったという。要するにリスク(危険性)とハザード(有毒性)が区別できていない。それは逆に危険なのだ。

 例えば、マムシはハザードが大きい。でも都市部にはほとんどいない。つまりリスクは低い。だからゴム長靴を履いたり血清を持ち歩いたりする必要はない。過剰なセキュリティー意識は視野狭窄(きょうさく)につながりやすい。結果として他のりスクが軽視される。そもそも犯罪予備軍(そんな区分けなどできないが)の人をGPSで追いつめたら、逆にリスクは拡大する。

 容疑者は学生の頃から特別支援学校などで働くことを目指していた。差別やへイトが意識こあったのなら、3年以上も障害者施設で働けたかどうか。何よりも僕は、容疑者が使った「安楽死」という言葉に戦慄(せんりつ)する。おそらく本気だ。単純な優生思想ではない。もちろん差別やへイトとも違う。この言葉の背景に、不十分な社会保障や障害者施設の劣悪な労働環境があるならは、それは決して「世迷いこ と」「言い逃れ」などの語彙で看過されるべき事態ではない。

 取り調べは続いている。この段階で安易に断定や解釈をすべきではない。ところが競争原理に背中を押されたメディアは、不完全な情報をもとに安易な断定や解釈を繰り返す。本来ならもっと情報が増えた段階で冷静に考察すべきなのだけど、そのころには社会は関心をほとんど失っている。

 普遍性を見つめ、リスクとハザードは分けるべきだ。事件発生から時間がたった今だからこそ、冷静で継続的な議論をすべきなのだ。

 誰が誰をなぜ殺したのか(上) (8月13日)

 辺見 庸さん 作家

 惨劇が照りかえす現実

 わたしらは体に大きな穴を暗々(くらぐら)とかかえて生きている。その空(むな)しさにうすうす気づいてはいる。しかし突きとめようとはし ない。穴の、底なしの深さを。かがみこんで覗(のぞ)きでもしたら、だいいち、なにがあるかわかったものではない。だから、穴などないふりをする。空しさは空しさのままに。穴は穴のままに、ほうっておく。いくつもの穴を開けたまま笑う。うたう。さかんにしゃべる。穴ではなく、愛について。ひきつったように笑い、愛をうたい、空しくしゃべる。黒い穴の底に、愛がころがり落ちてゆく。

 相模原の障がい者殺傷事件の容疑者はとっくにつかまっている。だが、誰が、誰を、なぜ殺.したのか―こんな肝心なことが正直よくわからない。のどもとにせりあがってきているものはある。それを言葉にしようとする。言葉がボロボロとくずれる。白状すると、わたしは夜中に思わず嗚咽(おえつ)してしまった。闇にただよう痛ましい血のにおいにむせたのではない。人間にとってこれほどの重大事なのに、その“芯”を語らうとしても、どうしてもうまく語りえないだけでなく、わたしの内奥の穴が、仮説という仮説をのみこんでしまうのだ。それで泣けてきた。

 惨劇からほの見えてくるのは、人には@「生きるに値する存在」A「生きるに値しない存在」―の2種類があると容疑者の青年が大胆に分類したらしいことだ。この二分法じたいを「狂気」と断じるむきがあるけれども、だとしたら、人類は「狂気」の道から有史以来いちども脱し たことがないことになりかねない。生きるに値する命か否か―という存在論的設問は、じつのところ古典的なそれであり、論議と煩悶(はんもん)は、哲学でも文学でも宗教でもくりかえされ、ありとある戦争の隠れたテーマでもあったのだ。

 たぶん、勘違いだったのだろう。自他の命が生きるに値するかどうか、という論議と苦悩には、これまでにおびただしい代償を支払い、とうに決着がついた、もう卒業したと思っていたのは。それは決着せず、われわれはまだ卒業もしていなかったのである。あらゆる命が生きるに値する―この理念は自明ではなかった。深い穴があったのだ。考えてもみてほしい。あらゆる命が生きるに値すると無意識に思ってきた人びとでも、おおかたはあの青年へのきたるべき死刑判決・執行はやむをえないと首肯するのではなかろうか。つまり「生きるに値する存在」と「生きるに値しない存在」の識別と選別を、間接的に受けいれ、究極的には後者の「抹殺」をみんなで黙過することになりはしないか。

 だとしたら…と、わたしは惑う。だとすれば、死刑という生体の「抹殺」をなんとなく黙過する人びとと、「抹殺」をひとりで実行したかれとの距離は、じつのところ、たがいの存在が見えないほどに遠いわけではないのではないか。少なくとも、われわれは地つづきの曠野(こうや)にいま、たがいに見当識をなくして、ぼうっとたたずんでいると言えはしないか。

 ナチズムは負けた。ニッポン軍国主義は滅びた。優勝劣敗の思想は消えうせた。天賦人権説はあまねく地球にひろがっている。だろうか?ひょっとしたらナチズムやニッポン軍国主義の「根」が、往時とすっかりよそおいをかえて、いま息を吹きかえしてはいないか。7月26日 の朝まだきに流された赤い血は、けっして昔日の残照でも幻視でもない。「一億総活躍社会の一角からふきでた現在の血である。それは近未来の、さらに大量の血を徴(しる)してはいないか。

 あの青年はいま、なにを考えているだろうか。悪夢からさめて、ふるえているだろうか。かれにはヒトゴロシをしたという実感的記憶があるだろうか。「除草」のような仕事を終えたとでも思っているだろうか。生きる術(すべ)さえない徹底的な弱者こそが、かえって、もっとも「生き るに値する存在」であるかもしれない―そんな思念の光が、穴に落ちたかれの脳裡(のうり)に一閃(いっせん)することはないのだろうか。(続)

 誰が誰をなぜ殺したのか(下) (8月16日)

 辺見 庸さん 作家

 痙れんする世界の中で

 目をそむけずに凝視するならば、怒るより先に、のどの奥で地虫のように低く泣くしかない悲しい風景が、世界にはあふれている。「日本で生活保護をもらわなければ、今日にも明日にも死んでしまうという在日がいるならば、遠慮なく死になさい!」。先だっての都知事選の街 頭演説で、外国人排斥をうったえる候補者が、なにはばからず声をはりあげ、聴衆から拍手がわいたという。かれは11万4千票以上を得票している。わたしの予想の倍以上だ。これと相模原の殺傷事件の背景を直線的にむすびつけるのは早計にすぎるだろう。けれども、動乱期の世界がいま、各所で原因不明のはけしい痙(けい)れん症状をおこしているのは否定できない。

 あの青年が衆院議長にあてた手紙には、愛と人類についての考えが、こなごなに割れた鏡のかけらのように跳びはねている。「全人類が心の隅に隠した想(おも)いを声に出し、実行する決意…」の文面が、ガラス片となって目を射る。「全人類が心の隅に隠した想い」とは、ぜんたいの文脈からして、重度障がい者の「抹殺」なのである。障がい者は生きるに値せず、公的コストがかかるから排斥すべきだというのが、人びとが「心の隅に隠した想い」だというのだろうか。これが「愛する日本国、全人類の為」というのか。ひどい、ちがう!と言うだけならかんたんである。

 凶行のあったその日も、その後も、世界はポケモンGOの狂騒がつづき、テレビは「真夏のホラー(映画)強化月間」に、リオ五輪中継。リアルとアンリアルのつなぎ目がはっきりしない。そう言えば、善意と悪意の境界もずいぶんあいまいになってきた。障がい者19人を手ずか ら殺(あや)めた青年に、犯行の発条(ばね)となる持続的な悪意や憎悪があったか、いぶかしい。戦慄(せんりつ)すべきは、殺傷者の数であるよりも、これが「善行」や「正義」や「使命」としてなされた可能性である。

 惨劇の原因を、たんに「狂気」に求めるのは、一見わかりやすい分だけ、安直にすぎるだろう。「誰が誰をなぜ殺したのか」の冷静な探問こそがなされなければならない。世界中であいつぐテロもまた「誰が誰をなぜ殺したのか」が、じっさいには不分明な、俯瞰(ふかん)するならば、人倫の錯乱した状況下でおきている痙れんである。そうした症状はなにも貧者のテロのみの異常ではない。

 米軍特殊部隊は2011年、パキスタンでアルカイダ指導者ウサマ・ビンラディンを暗殺したが、その前段で、中央情報局(CIA)のスパイがポリオ・ワクチンの予防接種をよそおってビンラディン家族のDNAを採取していたことはよく知られている。ワクチン接種がポリオ絶滅のためではなく、暗殺のために利用されたのだ。結果、パキスタンでポリオの予防接種にあたる善意の医療従事者への不信感がつのり、反米ゲリラの標的となって殺される事件がことしもつづいている。ポリオ絶滅は遅れている。それでも米政府はビンラディン殺害を誇る。「米国の正義」を守つたとして。

 正義と善意と憎悪と“異物”浄化(クレンジング)の欲動が、民主的で平和的な意匠をこらし、世界中で錯綜(さくそう)し痙れんしている。7月26日のできごとはそのただなかでおきた、別種のテロであるとわたしは思う。あの青年は“姿なき賛同者”たちを背中に感じつつ、目をかがやかせて返り血を浴びたのかもしれない。かれが純粋な「単独犯」であったかどうかは、究極的にかくていできはしない。石原慎太郎元東京都知事は、前世結末に障がい者施設を訪れたときに、「ああいう人ってのは人格があるのかね」と言ってのけた。新しい出生前診断で“異常”が見つかった婦人の90%以上が中絶を選択している―なにを物語るのか。

 「生きるに値する存在」と「生きるに値しない存在」の二分法的人間観は、いまだ克服されたことのない、今日も反復されている原罪である。他から求められることの稀(まれ)な存在を愛することは、厭(いと)うよりもむすかしい。だからこそ、その愛は尊い。青年はそれを理解する前に、殺してしまった。かれはわれらの影ではないか。

 社説 (8月20日)

 措置入院の検証

 相模原市の障害者施設で起きた殺傷事件の衝撃が残るなか、検証と再発防止の検討が厚生労働省の有識者チームで始まった。

 冷静な議論を求めたいが、気がかりなところがある。

 なぜ、犯罪事件の検証を厚労省で行うのか。精神疾患による犯行との予断がどこかに潜んでいないか。精神疾患への偏見・差別を助長しないか。

 安倍晋三首相の指示を受けて、措置入院の見直しが焦点になりそうだ。容疑者の元施設職員が事件前、病院の精神科に措置入院していたからである。措置入院は、精神疾患のために自他を傷つける恐れのある人を強制的に入院させる制度だ。

 退院の判断やその後のフォローは適切だったか。医療や行政、警察の連携がどうだったかも検証されよう。

 19人もの障害者が殺害された事件である。退院の判断を厳しくし、退院後の監視を求める風潮が強まらないかと心配する。

 医療は患者との信頼関係が第一であり、犯罪予防を期待するのは筋違いとの指摘もある。措置入院が犯罪の予防拘禁に使われてはなるまい。

 精神障害者に対する人権侵害の歴史を踏まえて、慎重な議論を求めたい。秋には提言をまとめるというが、拙速は避けてほしい。

 そもそも容疑者に精神疾患があったのか、あったとしても犯行に結びついたのか。 これから厳密に解明していくべきことだ。

 2001年の大阪・池田小事件で、犯人の精神科入院歴がクローズアッブされたが、裁判で「詐病と分かゅた過去も忘れまい。

 衆院議長に苑てた手紙で殺害予告がされていた。警察の対応も検証しないといけない。ネットでの脅迫などでは威力業務妨害などで 検挙事例がある。再発防止の議論は多角的になされるべきだ。

 もちろん措置入院のあり方や、退院後の地域での受け入れなどの課題は重要であり、議論を重ねる必要はある。ただし、今回の事件とは関係なく、治療と生活サポートの観点からであるべきだ。

 精神障害者の団体から、厚労省での措置入院見直し議論について、偏見を助長するとして撤回を求める声が上がっている。きちんと受け止めてほしい。

 隔離収容から地域での共生へ―という精神医療の流れを妨げるのは、根深い精神疾患への偏見である。あらためて自らの胸のうちを 省みたい。

 相模原事件を問う G

 岡 正悟さん 宇治おおばく病院院長

 措置入院見直し 慎重議論を

 今回の容疑者には措置入院の経歴があったため、精神科医療に注目が集まった。精神科医療の目的はあくまで治療と社会復帰。措置入院制度も例外ではなく、症状が治まり、自傷や他害の恐れがないと1人の精神科医が判断すれば患者は退院できる。再発のリスクがあれば措置入院以外の形での入院継続や外来通院での治療、訪問看護などによる見守りでフォローする。

 だが、犯罪リスクがあった場合、退院後のフォローは医療機関だけでは難しいだろう。現行制度に限界があるのも事実だと思う。

 犯罪リスクがある場合は、複数の精神料医などで厳正に評価した上で、医療機関から保健所や警察に協力を求めるシステムを整備する必要がある。精神科医療は決して治安の維持を目指すのではないが、市民として犯罪抑止を願い協力するのは当然と言える。患者のためにもなるはずだ。

 今回の容疑者は障害者の命を軽視する優生思想の持ち主と伝えられており、この考えによる殺人予告が措置入院の背景にあったという。しかし危険思想と、精神疾患による風変わりな考えは別もの。危険思想は精神疾患ではない。精神疾患の症状がなくなり本人が危険思想を「間違いだった」などと否定すれは、それ以上、病院内で見極めるのは困難。精神料医は人の心を見抜けるわけではなく、人の行動も予言できない。退院後のフォローが重要だ。

 退院後の見守りや治療継続に家族の役割は大きいが、さまざまな事情を抱える個々の家族に責任を全て負わせることはできない。保健師や訪問看護師による見守りや居住施設の確保が重要になる。ただ、現状ではマンパワーも設備も潤沢ではなく体制整備が必要だ。

 事件を受け、措置入院制度の見直しの議論が始まった。これまで述べた課題を踏まえ、他害の恐れとは無縁の大多数の精神疾患の患者にとって不利益とならないよう慎重な議論を求めたい。「精神疾患患者は危険な存在」という偏見が助長され、再び精神科病院に押し込めるような逆行を起こしてはならない。病院はあくまでも治療を行う場で、収容施設や圧居ではない。どんな糟神疾患患者も回復し、生活が可能となれは退院するのは当然だ。(聞き手・広瀬一隆)

 【表層深層】 (8月26日)

 犠牲19人全員 今も匿名

 相模原市の知的障害者施設で起きた殺傷事件では、死亡した19人全員の氏名が公表されない異常事態が今も続く。プライバシー保護を求める遺族の意向を反映させた措置だが「障害者を特別扱いするのは、容疑者と同じ発想の差別ではないか」との批判もある。実名報道を原則とするメディアにも重い課題が突き付けられている。

 関係者への取材によると、死亡者を匿名とすることは事件発生直後の混乱の中で決まった。

 7月26日午後、「津久井やまゆり園」の狭い一室に集められた遺族から匿名を希望する声が上がった。反対意見はなく、神奈川県警 は「約束はできない」と要望を持ち帰った。その夜遅く、「S男さん43歳」など、死者をアルファベットと性別、年齢で表記した「死亡者名」が公表された。

 県警担当者は遺族の希望を挙げ「プライバシー保護の必要陣が極めて高い」と説明。報道各社の抗議は聞き入れられなかった。

 犯罪の事実に迫り、捜査当局による情報の加工や隠蔽(いんぺい)がないかチェックするための取材には被害者名の公表が極めて重要な端緒となる。実名で報道するかどうかはメディアが判断し、その結果にも責任を持つのが原則。殺人事件でも性被害など特別な事情がある場合、被害者名を伏せて報道するケースもある。

 報道各社は県警に繰り返し公表を迫ったが対応は変わらず、異常事態はそのまま定着した。

 この扱いに異を唱えたのが日本障害者協議会だ。事件後の声明で、匿名発表について「一人一人の死を悼みにくい」と言及。藤井克 徳代表は「死後も差別が続いていると思わざるを得ない。日本の障害者問題の縮図を示している」と指摘した。 .

 やまゆり園へ献花に来た障害者からも異論が出た。東京都江戸川区から車椅子で訪れた丸田君枝さん(42)は「匿名では個人の歴史も残らない。障害者を排除している」と批判した。

 問題は単純ではない。匿名は事件で深く傷ついた遺族の希望であり、その遺族が障害者に対する社会の偏見を強く感じているからだ。「特別扱いが差別を助長する」という批判は、そのまま社会全体に跳ね返る。 .

 「この国は優生思想的な風潮が根強く、公表できない」。8月6日、東京都内で開かれた追悼集会で遺族の痛烈なメッセージが読み上げられた。

 実際、被害者側の取材に対する拒絶反応は極めて強い。腹などを刺され負傷した尾野一矢さん(43)の母チキ子さん(74)は「こんな時だからこそ障害者への理解を深めてほしい」と例外的に実名で取材に応じているが、心中は複雑だ。

 「息子を見せ物にしていないか」との思いが消えず、記者の前で「一矢、健康に産んであげられなくてごめん」と涙を流すこともあった。

 やまゆり園を運営する「かながわ共同会」評議員の星野茂さんは「氏名の非公表はやむを得ない」との立場。「実名報道されれば、被害者の身内はさらに大きな痛手を受ける。これが障害者への偏見が根強い日本社会の現実だ」と話す。

 服部孝章立教大名誉教授(メディア法)は遺族の感情に理解を示しながらも「幅広い情報開示がなければ、事件の本質や背景があいまいなままになる」と県警の対応に疑問を投げ掛ける。一方でメディアに対しても「どういう場合に実名報道し、どういうケースで名前を伏せるのか、今回の事件を踏まえて議論をより深めていくべきだ」と指摘した。

 相模原殺傷1カ月 (8月26日)

 なくなっていい命ない

 1カ月で歩けるほど元気になり、笑顔も見せるようになった。相模原の障害者施設殺傷事件で負傷した尾野一失さん(43)。腹の傷は深く、一時は生死の境をさまよった。3歳で実父を亡くした一矢さんを手塩にかけて育てた父剛志 さん(72)は回復に目を細めつつも「障害者なんていなくなればいい」と供述した植松聖(さとし)容疑者(26)への怒りは日増しに募る。「障害は個性。なくなっていい命なんてない」

 7月26日午前5時すぎ。知人から事件の連絡を受けた剛志さんは「どうか生きていてくれ」との一心で、神奈川県座間市の自宅から妻チキ子さん(74)と共に「津久井やまゆり園」に駆け付けた。既に救急搬送されており、息つく間もなく病院へ。対面した一失さんの意識はなかったが、翌日に目を覚ました。「戻ってきてくれた」。剛志さんは胸をなで 下ろした。

 自閉症のため何を覚えさせるのにも半年かかった。服を着ることから粘り強く教え、言葉もある程度話せるように。「うちの近くを通らせないで」。近所の人の心ない言葉ははねつけた。

 小学校に上がると、一矢さんはミニカーの名前を覚える遊びに熱中した。卒業後に入った施設では歌が上手と評判になり、職員に童謡「こいのぼり」を披露した。

 だが、成長に伴って問題も増えた。23歳で園に入所すると、慣れない環境のせいか、自分の顔や手を爪で傷つけるようになった。

 一時帰宅した際も自ら肩を脱臼させるなど頻繁にパニックを起こした。「一矢を巡って夫婦げんかが絶えなかつた」と剛志さんは振り返る。

 一矢さんが「やまゆりで頑張る」と話し始めたのは入園から8年後。楽しそうに暮らす姿を見て、剛志さんは「障害があるからこそ一矢なんだ」と、ありのままを受け入れられるようになった。

 事件後の7月30日、見舞いに訪れた剛志さんを一矢さんが満面の笑みで出迎えた。「お父さん、お父さん」と呼ぶ息子がいとおしく、剛志さんは力いっぱい抱きしめた。

 一矢さんは腹の傷もだいぶ癒え、大好きなハンバークが食べられるようになった。「事件をひきずらず、前を向いていかなければならない」と剛志さん。同時に心の中には何の罪もない大切なわが子を傷つけられた憤りがわだかまる。

 「障害者もちゃんと頑張って生きていける。そういう世の中なんだ」。それが植松容疑者の身勝手な主張に対する剛志さんの答えだ。

総論★各論 排除は何も解決しない(10月4日)

 相模原市の知的障害者施設で入所者が殺傷された事件は、元施設職員の容疑者の精神鑑定が始まった。真相解明を待つ言論界では、社会的余波についての議論が続く。

 重度障害者は生きていてもしようがない―。容疑者が口にしたとされる言葉に触れ、脳性まひの小児科医、熊谷晋一郎は社会への信頼の底が抜けたような感覚に襲われたという。「『語り』に耳を傾けて」(「世界10月号)で、地域での自立生活を求めた陣害者運動の蓄積が真っ向から否定された無念を吐露する。

 「リハビリや治療で障害者を改造」して社会に適応させる医学に異論を唱え、「障害むきだしのままで生きていていい」多様な社会の実現を訴えた運動の歴史を紹介。その到達点として障害者差別解消法が制定され、障害者権利条約が批准された直後に「集団の価値を優先するロジックによって個人の生命という究極的な尊厳が奪われた」と憤りを隠さない。

 誰にも頼らず独りで生きるのではなく、必要な援助を過不足なく得られる状態を自立と呼ぶ。裏返せば、助けがなければ生活は回らず、暴力で迫られれば、なすすべはない。障害者と介助者の間には緊張が潜む。

 ★多数派への恐怖☆

 だが「危ない」を排除しても解決にはならないと熊谷は言う。インタビューに答えた「それでも、他者とつながり生きる。脳性まひの医師の思い」(「バズフィード・ジャパン」8月27日)で「怖いのは、私一人じゃない。みんな怖いから、みんなで解決しよう」と呼び掛けるように語る。

 身体障害者も知的障害者も、容疑者のような薬物依存症の人も、同じ「圧倒的な少数者」であり多数派に対する不安や恐怖を分かち合う仲間だと指摘。「危ない人」をモンスター扱いし集団の純化をもくろむ優生思想、排外主義には断固抵抗する必要があると説く。

 ただ自立しないと幸せになれないわけではない。社会学者の有薗真代「施設で生きるということ」(「世界10月号)はハンセン病療養所などを例に挙げ、施設の入所者と職員が長年かけて築いた生活文化の豊かさを強調する。自宅での介助に疲弊した家族が新たな出会いを得て、元気を取り戻す場でもある施設を否定すれば、公費の削減と障害者の消費者化を狙う新自由 主義者につけ込まれかねないと警告する。

 ★自立支援法の罪☆

 そもそも効率や採算性といった新自由主義の価値観を福祉に持ち込んだ障害者自立支援法が、凶行を招いたのではないか。職業倫理 も人間性も感じられない容疑者の言動は、福祉の荒廃の象徴ではないのか。精神障害者を支援するNPO法人「あまのはら」理事の五十嵐正史「相模原事件についての所感および論考」(法人サイト・9月16日)の問題提起は鋭い。

 福祉をやり直さなけれは。徹底的に。絞り出した五十嵐の言葉に「福祉で飯(く)を喰らう者の矜持(きょうじ)」がにじんだ。 (敬称略)