私を知ってほしかった(旭川中2自殺事件) (2024年9月24日〜 京都新聞・夕刊)

いじめ防止法施行11年 (2024年11月15日〜 京都新聞・夕刊)

@教育評論家 尾木直樹さん法律の定義、深く議論を

A文部科学省児童生徒課長 千々岩良英さん教員一人で抱えないで

B和歌山大名誉教授 松浦善満さん法律に調査協力の項目を

C精神科医 斎藤環さん被害者のケア 最優先に

D発達心理学者 仲真紀子さん子どもの言葉で語らせて

旭川いじめ自殺の再調査委員を務めた弁護士


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@教育評論家 尾木直樹さん法律の定義、深く議論を

 2011年に大津市の中2男子がいじめを苦に自殺した際、市の第三者委員会の委員として調査報告書を作成した。初めに書き起こしたのは、聴取に応じてくれた生徒らに対する感謝と期待の気持ちだった。「大人たちの現状に鑑みると、学校からいじめをなくすことは容易ではなく、皆さんが将来、学校からいじめをなくすための取り組みをしてほしいと期待しています」。あれから十数年がたったが、大人たちの意識はあまり進歩していないと感じる。

 いじめの定義はこれまで3回にわたって変更されてきた。1986年の最初の定義は「自分より弱い者に対して一方的に行われ、学校が事実を確認しているもの」だったが、94年に「いじめられた児童生徒の立場に立つ」となり、2006年には「当該児童生徒が精神的な苦痛を感じているもの」と更新されてきた。

 加害者側の姿勢やいじめ行為の軽重よりも、被害者の受け止めに軸足が置かれている。13年施行のいじめ防止対策推進法でより明確に定義されたが、学校現場はいまだに認識を変えられていない。

 北海道旭川市でいじめを受け、21年に亡くなった広瀬爽彩さんの件では、初めに調査に当たった市教委の第三者委員会が生徒から丁寧な聞き取りをした。後に再調査を担当した私たちにも非常に参考になった。

 ただ、いじめの定義について「広辞苑や社会通念を考慮する」と法律とは異なる解釈をしてしまった。「被害者が申告すれば何でもいじめと認定されるのか」という加害側への配慮があったのかもしれない。だが、被害者を守り、再発防止につなげようという法律の精神からは外れてしまった。

 教員の多くは子どもの弱点や問題点を改善するのも自分たちの仕事だと考えがちだ。担任から見れば、いじめられる子には忘れ物が多かったり、小さなうそをついたりする欠点が確かにあるかもしれない。しかし、そうした弱点は大人も含めて誰もが持っている。「被害者にも非があるのだから、いじめられても仕方がない」という考えに転化してはならない。

 旭川市の事案では、爽彩さんは発達上の特性を有しており、その特徴的な言動をクラスメートが指摘して笑うという出来事があった。本来なら、学校は教員集団として彼女の特性を認識し、クラスの生徒にも理解を呼びかける必要があったが、そうしなかったのは明らかな落ち度だった。

 子どもに寄り添うとはどういうことか。教員の皆さんには、改めて法律の定義にしっかりと向き合ってほしい。       ◇

 2011年、大津市の中2男子がいじめを苦に自殺し、大きな社会問題になった。それから10年後の21年、北海道旭川市で中2女子のいじめ自殺が起きた。大津市の事件をきっかけに13年、いじめ防止対策推進法が施行されたが、その後も深刻ないじめは後を絶たず、23年度のいじめ認知件数は約73万件と過去最多を更新した。何度も対策が講じられながら、なぜ過ちは繰り返されるのか。大津と旭川で調査報告書の作成に関わっか委員らと共に、私たちに何ができるのか処方箋を探る。


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A文部科学省児童生徒課長 千々岩良英さん教員一人で抱えないで

 いじめの認知件数は年々増えている。いじめは決して許されないが、文部科学省は全国の教育委員会に積極的ないじめの認知を求めている。20 13年施行のいじめ防止対策推進法の精神にも合致しており。事案を把握して件数が増えることは肯定的に捉えている。

 法律は「行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているもの」といじめを定義している。かつてのいじめの定義と比べ、心身の苦痛を重視しているのは被害者に寄り添い、守ることを一番に考えているからだ。早期に事態を解消し、加害者に指導すべき事案でも、かつての定義では個々の行為の可視化が難しくなってしまう。

 文科省としては、校内研修などを通じて学校現場に法律の定義が行き渡るように努めてきた。しかし、子どもからいじめの疑いがある相談を受けても「相手には悪気がないんだよ」と逆に諭してしまうような教員もいる。頭では定義を理解していても、行動につながらないのでは意味がない。

 かつては「いじめられた方にも責任があり、耐えることも必要だ」という発想があり、いまだにそうした考えの教員もいるのではないか。加害者に急いで謝罪をさせ、安易に問題を解消しようとする対応が誤りであることは、国の「いじめの防止等のための基本的な方針」にも明記されている。

 教員が一人で問題を抱え込み、自分の経験値や価値観だけで判断しているケースも多い。法律は各学校に、早斯発見や対処に中核的な役割を果たす「いじめ防止対策組織」の設置を義務づけている。一人で何とか解決しようとする教員の意欲は分かるが、事案を把握しながら対策組織に報告しなければ、法律の規定に違反し得ることを改めて認識してほしい。

 ただ「法律ではこうなっている」と伝えるだけでは実効性に限界がある。「教員としてこんなふうに事案に関われば、事態を変えられた可能性がある」といったケーススタディーを通じ、いじめに対処するスキルを上げていく必要があるだろう。

 いじめによって児童生徒が心身や財産に重大な被害を受けた、もしくは不登校となった疑いがある「重大事態」も23年度は1306件と過去最多を更新した。今年8月には対応するガイドラインを改定し、重大事態が発生した場合に、迅速かつ適切に対応することができるよう平時から備えておくことが必要であると強調した。法的な責任追及や訴訟への対応が調査の目的ではなく、重大事態の「疑い」が生じた時点で対処する姿勢を何より重視しているからだ。


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B和歌山大名誉教授 松浦善満さん法律に調査協力の項目を

 大津市の事件で第三者委員会の委員を務めた立場から見ると、北海道旭川市のいじめに関する報告書は交流サイト(SNS)に残されたデータの収集と分析に価値が凝縮されている。精神医学に重点が置かれ、専門家が知見を総動員して被害者の広瀬爽彩さんの心理を分析し、質の高い内容になっている。今後の調査の指針にもなるだろう。一方で子ども同士の関係性が見えにくく、教員ら学校当事者の声が出てこないという弱点も感じた。

 大津の報告書は、把握が困難ないじめという行為を、どう可視化すればよいのかを学校に示すことを目指した。旭川の報告書を読んだ学校関係者は、日々の活動に反映させる具体的な方策をイメージできただろうか。

 かつてのいじめは異質な子を仲間はずれにする「排除型」が多かった。それが1994年に起きた大河内清輝さんのいじめ自殺の頃から、仲良しグループによる「拘束型」が主流になった。グループの外には行為が見えにくいのが特徴だ。大津の事件も同じで同一クラス、同一学年の仲良しグループの間で起きている。

 しかし、旭川では被害者が学校の外に出て異年齢のグループに居場所を求めており、明らかに形態が変わってきている。従来の見方では、学校外の生徒の動きは把握しにくかっただろう。

 大津では、殴る蹴るや死んだ蜂を食べさせるなどの暴力が中心だったが、今回は性被害もあり、SNSを使って画像を拡散させるなど、子どもを取り巻く状況は約10年の間に大きく変化した。

 とはいえ、いじめは被害者、加害者、教員、保護者といった社会化された構造の中で捉えなければ見えてこない。子ども同士の関係性や事実認定の把握が不十分だと、今後の教訓にはしにくい。

 調査に当たる第三者委員会には、対象者にお願いする以上の調査権限がないため、旭川のように関係者の聞き取りに苦労するケースが相次いでいる。少しでも調査を円滑に進められるよう、いじめ防止対策推進法には「学校は調査に協力する」といった調査協力に関する項目を設けるべきだ。

 日本はいじめを暴力や非行から切り離して扱ってきた。「被害者の心身の苦痛」に準拠していじめを定義しているのは国際的に見れば少数派だ。いじめを暴力と定義する方がシンプルで、多くの国は加害者のアグレヅション(攻撃行動)に軸足を置いている。だがその場合、法的に犯罪に該当しない行為は見過ごされ、加害者の取り締まりと処罰が強調されやすい。

 日本はなぜ「被害者の苦痛」を最も大事にしていじめと向き合ってきたのか。原点に立ち返って考える時期に来ている。


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C精神科医 斎藤環さん被害者のケア 最優先に

 学校のクラスには、カースト(序列)が存在する。これまでは腕つ節が強い「ガキ大将」がトップにいたが、最近は反応が機敏で、人をいじり、笑いが取れることなどを指す「コミュ力」の高さでどの層に属するかが決まる。

 カースト内ではコミュニケーションを円滑にするためにキャラクターが割り当てられ、うかつに「キャラ変」するといじめの対象となることがある。つながりを無視して自分の世界を追求してもいいが、ほとんどの生徒は「居場所がなくなる」という不安が強く、そうはできないのだろう。

 再調査委員を務めた北海道旭川市の事案で、いじめを受けて2021年に亡くなった広瀬爽彩さんはクラスで同級生から「変わり者キャラ」と見られていた。カースト上位層と接点を持とうとしたが相手にされず、中下位層に追いやられてしまったような印象がある。

 一度定まった同級生の認識を自分自身で変えるのは、クラスの調和を乱すことになり、難しかったと思う。居場所がなく、別の学校の先輩らとつながり、自分を認めてもらうためにお菓子をおごったり、性を差し出したりするしかなくなった。

 いじめを受けた後は「自分が悪い」という自責の念に苦しんだ。これは世界に対する不信感と結びついた、心的外傷後ストレス障害(PTSD)の典型的な思考だ。時間がたつにつれて傾向は強まり、性的ないじめから約20ヵ月後に亡くなった。

 これまでたくさんのひきこもりの人たちに話を聞いてきたが、30歳を過ぎても中学時代に受けたいじめに苦しみ、悪夢を見たり、加害者の声が聞こえたりする症状が少なくない。ただ、いじめによるPTSDはあまり知られていない。被害を打ち明けると、人から「いじめられるようなやつだ」と見下されると思い、誰にも訴えられずに閉じこもってしまい、外部からは見えないからだ。

 いじめや事故の被害者に、嫌がらせが殺到するという不可解な現象がある。これは被害者に近づくと自分もけがれてしまうという「けがれ意識」が関係していると思う。関わることは「験が悪い」という感覚だ。

 被害者が苦しみ続けないために、まずは小さくても声を上げる。学校は被害者のケアを重視することだ。加害者に対して「罰ではなく、愛情を持って指導すればきっと変わる」という考えでは、被害者は納得できない。

 教員が「被害者にも責任があった」と言ったり、被害者を転校やクラス替えさせたりすることが、傷を深めている。転校などの犠牲は加害者に払わせ、被害者の心身の安全を確保することを最優先にするべきだ。


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D発達心理学者 仲真紀子さん子どもの言葉で語らせて

 事件に巻き込まれた子どもを聴取する際に、誘導的な聞き方をしてしまうことや、一度で終えられず何度もつらい体験を思い出させてしまうことがある。そうした事態を防ぐために、捜査機関と児童相談所が連携して正確な情報を負担なく聴取する「司法面接」の手法が虐待事件などの聞き取りで広がっている。いじめの調査に当たる学校からの関心も高まっている。

 子どもが話しやすい環境を整え、オープンな質問の仕方を心がける。例えば「たたかれたの」と「何があったの」のどちらの聞き方をしたかによって「たたかれた」という証言の信用性は異なる。面接は一度で済むように録音・録画する。

 学校でいじめを認知した時も、教員は司法面接に準じた手法で信頼関係を築き、当事者に多くを語ってもらうことが有用だ。生徒や保護者から録音・録画に難色を示されないよう入学時に「調査をする場合は正確を期するために録音する」と伝え、了承を得ておくといいだろう。

 再調査委員を務めた北海道旭川市の事案で、いじめを受け2021年に亡くなった広瀬爽彩さんが通った学校は、いじめに関係したとされる生徒にしっかりと聞き取りをしていた。ただ、逐語録や録音が残っておらず、司法面接で大切な、どのような聞き方をしたのかまでは分からなかった。

 爽彩さんが自殺未遂した時には警察が2回聴取したが、情報は十分に共有されなかった。学校や心理の専門家と計画を立て、協同で面接できる体制があればもっとよかった。

 一方で、今回は爽彩さんの生の声が交流サイト(SNS)に残っていた。遺族から記録の提供を受けて分析すると、爽彩さんからメッセージを受け取った皆さんは「そんなのおかしい」と反論したり、しつこく質問したりせず「うんうん、そうか」と受け止める姿勢で応じていた。司法面接の聞き取りに似ていて、本人がその時にどう思っていたのかがよく分かる記録だった。

 最近はドメスティツク・バイオレンス(DV)や詐欺などの捜査でもSNSに証拠が残っているといわれる。いじめの調査でも、SNSの分析は今後重要になると思う。

 最初は「学校に行くことが怖い」と書いていた爽彩さんは、次第に絵を描くのも寝るのも怖いという不安に襲われた。いじめを受けて家にこもっている長い間、つらい気持ちを抱え続けていたと導き出すことができた。

 本当は爽彩さんから直接話が聞きたかった。「何かあったかお話しして」「そっか、そっか」。そんな問いかけに彼女は何と答えてくれただろう。彼女の記録と出合い、考え続けている。私たち大人はどの時点で、何をすることができたのかと。


【時のひと】(24/11/13 京都新聞)旭川いじめ自殺の再調査委員を務めた弁護士

 伊東 亜矢子さん(47)

 北海道旭川市で2021年に中学2年広瀬爽彩さんがいじめを受け自殺した問題の再調査に当たり、主に事実認定を担当した。報告書は公表版で366ページにも上った。広瀬さんに発達上の特性があり、中学でクラスになじめなかった経緯を丁寧に書いた。「このようないじめはどこでも起こり得る」と伝えたかった。

 再調査が動き出した直後の23年1月、皆で遺族を訪ね「爽彩さんが生きてきた軌跡を知りたい」と委員会の姿勢を伝えた。提供を受けた交流サイト(SNS)の記録には、自らの特性をからかわれ、クラスで浮いていることに思い悩む様子が残っていた。思春期の子どもたちが、ある生徒の異質な行動をまねしたり、からかったりする過程をできるだけ詳細に記したかった。旭川で起きたことは特殊ではなく「誰もが一度は見たこと があるような光景だと知ってほしかった」

 ただ、多くの子どもには聴取に応じてもらえず事実認定は難航。クラスの男女が教室内の雰囲気をどう感じていたか。性的ないじめに関わった先輩にも事情や言い分があるのではないか。全てを聞くことはかなわず、人間関係に迫りきれなかった。その中でも勇気を持って話してくれた子どものおかげで調査は進んだ。

 広瀬さんのSNSからは、亡くなるまで抱え続けた苦しみや自責の念が伝わってくる。「いじめに関わった子どもたちは被害者の傷つきを受け止めることで真の反省が得られると思う。報告書がその一助になってほしい」。東京都出身。